
僕は産まれたときから家庭が貧乏で色々と悲しい思いをしています。いい大学に入っていい会社に就職するためにやるべきことはありますか?

金持ちでも不幸な人はたくさんいるから自分の好きなことを探したほうがいいよ。
自分はお金がないし恵まれてもいないから不幸だよねって言う人もいるんですけど、割と見た目とか収入とか才能に恵まれている人でも「自分はもう生きていたくない」って思う人も実際にいるので、ようは物事の捉え方だと思うんですよね。お金を持っていても不安を感じる人はいるし、凄く美人でモテモテな人でも自分は人には好かれていないんだって思う人もいる。
なので実は世の中の大抵のことって考え方次第でとうにでもなるということを教育の時点でやっておいたほうがいいと思うんですよ。人が楽しく生きていけるかどうかって与えられた条件とか見た目とか能力とかではなくて考え方のほうに重点があるんです。これは宗教がある程度進んでる国だと今僕が言ったような話って通じやすいんですよね。人というのは生きているだけで価値がありますよ的な感じで。
日本の場合は「能力のない奴はダメだよね」っていう風習が強いのでテストの点数が高ければ「よく出来たね」って褒めるし低ければ「いい学校に行けなくなるよ」って言われる。つまりいい大学や就職先に行けることが幸せであって、そうでない場合は幸せじゃないよねっていうのを学校で教えちゃうんですよ。悪い点数を取ったら人生がきつくなるよねっていう教育をずっとしているんです。
そもそも義務教育ってエリートを育てる場所ではないと思うので、テストの点数以外にも大事なことがあるよねっていうことを教えたほうがいいと思うんですよ。例えば中学生とかが三者面談で「漫画家になりたいっす!」って言うと親も学校の先生も「ふざけんな!」ってなると思うんですけど、でも漫画を書くことによって楽しく生きられるのなら長期的に見ても人生幸せだと思うんですよね。
逆にいい大学に入ったとしても思い通りの就職ができなくて、仕事を辞めて一年間プラプラしてコンビニの店員になっちゃいました…みたいな人ってザラにいると思うんです。ようは大学に行っても生活が保証されるわけではなくて、仮にコンビニの店員になるんだったらそのままコンビニ店員として毎日楽しくダラダラ漫画を書いていたほうが幸せだと思うんですよ。ワンチャン漫画が当たる可能性もあったりするので。
点数至上主義の何が良くないのかと言うと、学校の勉強の点数が高い奴が社会に出て優秀かってなるとそうでもないんですよ。例えば古典漢文で100点取っていた奴が社会に来たとしてもマジでうざいんですよね。それ使わねーから…いらねーからみたいな。つまり本当に無駄なことに労力を費やせておいて、必死になって古典漢文を頑張れば幸せになれるんだと思ったら「いらねーから」って言われる。
例えばプログラムが優秀な人って社会に出てもそれなりに稼げるのでプログラムをやってて良かったよねってなるんですけど、それを学校の先生とか親に相談すると「何それ?」ってなったりする。なので先生や親のどうでもいい意見を鵜呑みにするよりは自分で調べて好きなことをやったほうがいいんじゃないかと僕は思います。
コメント